2008年10月23日
先般大阪市の公募案件で我々が選定された。
http://www.city.osaka.jp/kensetsu/newarv/info/080918.htm
路上における駐輪場整備案件で
関西でも有数の繁華街「大阪ミナミ」における
路上の整備である。
今からさかのぼる事3年前、この計画地近くで
我々は駐輪場を整備した。
現在も管理を行っている。
とにかくサポートセンター泣かせの現場である。
というのは繁華街であるが故、
ビックリするような問合せが頻発するのである。
例えば、
「お待たせしました、駐輪場サポートセンターでございます」
とサポートセンターが応対すると
「らーめん、5つ注文」
と陽気な声で注文が入る事があった。
おそらく近辺でお酒をお飲みになられて
帰り際、小腹が空いてのお問い合わせであろう。
あくまで駐輪場に関するサポートセンターなので
近くのラーメン屋さんへ是非とも足を運んでいただきたい。
(近辺にはおいしいラーメン屋さんがたくさんある)
何度ラーメン屋さんではない事を説明しても
ラーメンの注文を延々と繰り返されたようだ。
あるいは
「※×※△■※×◇△・・・」
泥酔状態で聞き取り不能なお問い合わせをいただく事もある。
しかしそこは、いつ・どんな内容の
お問合せにもきちんと対応する我らのセンターは
「こちらは駐輪場のサポートセンターですよ」
「いかがされましたか?ご気分がすぐれないのですか?」
「大丈夫ですか?」
と駐輪場に関係のない問合せだと分っていても
親切にかつ親身になって応対を行うのである。
さらに外国語でお問合せをいただく事も多数ある。
これに関しては、センターの意地とも言うのであろうが
さすがなもので、一時期、英語は基本としてスペイン語や韓国語まで
対応していた時期があった。
(※現在は原則日本語のみの対応となっておりますので、あしからず。)
といった感じで非常に様々なお問合せを受け、
センター対応能力を向上させていただいた
ありがたい現場であった。
(とはいえ、お酒を飲まれている方専門の
担当なんておりませんからね。あしからず)
http://www.city.osaka.jp/kensetsu/newarv/info/080918.htm
路上における駐輪場整備案件で
関西でも有数の繁華街「大阪ミナミ」における
路上の整備である。
今からさかのぼる事3年前、この計画地近くで
我々は駐輪場を整備した。
現在も管理を行っている。
とにかくサポートセンター泣かせの現場である。
というのは繁華街であるが故、
ビックリするような問合せが頻発するのである。
例えば、
「お待たせしました、駐輪場サポートセンターでございます」
とサポートセンターが応対すると
「らーめん、5つ注文」
と陽気な声で注文が入る事があった。
おそらく近辺でお酒をお飲みになられて
帰り際、小腹が空いてのお問い合わせであろう。
あくまで駐輪場に関するサポートセンターなので
近くのラーメン屋さんへ是非とも足を運んでいただきたい。
(近辺にはおいしいラーメン屋さんがたくさんある)
何度ラーメン屋さんではない事を説明しても
ラーメンの注文を延々と繰り返されたようだ。
あるいは
「※×※△■※×◇△・・・」
泥酔状態で聞き取り不能なお問い合わせをいただく事もある。
しかしそこは、いつ・どんな内容の
お問合せにもきちんと対応する我らのセンターは
「こちらは駐輪場のサポートセンターですよ」
「いかがされましたか?ご気分がすぐれないのですか?」
「大丈夫ですか?」
と駐輪場に関係のない問合せだと分っていても
親切にかつ親身になって応対を行うのである。
さらに外国語でお問合せをいただく事も多数ある。
これに関しては、センターの意地とも言うのであろうが
さすがなもので、一時期、英語は基本としてスペイン語や韓国語まで
対応していた時期があった。
(※現在は原則日本語のみの対応となっておりますので、あしからず。)
といった感じで非常に様々なお問合せを受け、
センター対応能力を向上させていただいた
ありがたい現場であった。
(とはいえ、お酒を飲まれている方専門の
担当なんておりませんからね。あしからず)
さて、今回公募で選定された計画地も現在は
写真の様に放置自転車で溢れています。
写真の様に放置自転車で溢れています。
これから我々のマジックが始まる。
このミナミの繁華街を放置自転車のない街にする
これが我々に与えられた使命である。
このミナミの繁華街を放置自転車のない街にする
これが我々に与えられた使命である。
整備によって快適に自転車を利用できる環境をつくる
また歩行者が安心して道を歩くことのできる環境をつくる
これが理想の街づくりである。
これが理想の街づくりである。
市民、府民、国民生活の向上に少しでも寄与したい
いまはそんな想いでいっぱいである。
いまはそんな想いでいっぱいである。
2008年10月20日
とうとう帰ってきました。約2週間、正直大変疲れました。これからの事業の方針や、方向性について、いろいろなものを見ながら考えることが目的の旅でしたが、今のところインプットのほうが勝ちすぎていて、アウトプットはこれからというところです。
ただ、世界はどんどん変わっている部分があるのはわかります。私たちが行っている間だけでも、経済の面では大きな変動があったようですし、人々の生活に対する考え方、格差の拡大、コマーシャリズムの肥大化など、変化はいたるところで感じます。
建築、建設の分野でも、ただ作るというだけでなく、そのプロセスや、表現の公共性のようなものが重要になってきている気がして、自分たちの立ち位置を明確に決めていないと、居場所がなくなるのではとも感じます。不況への入り口にあるような今、求められるものを的確に把握して、進んでいくべき道を示したい、と思っています。
2008年10月19日
フランクフルトについてみると、駅のすぐ近くにメッセがあり、ちょうど今、世界一の規模のインターナショナルブックメッセが行われていることがわかりました。夕食の和食レストランで聞いてみても、この時期は日本人も大変多いとの事です。日本からも数十の出版社が出展していて、国際的に出版物に関する商談が行われています。全部では7000もの出展があります。見に行ってみると日本からの出展ではやはりマンガが人気のようでした。アンティークの本もあったのですが、一方で、Eブック、つまり印刷物でなくディスプレイ上の出版というのが多かったように思います。コンテンツと表現の技術双方で新しさを競っています。
映像による出展も目を引きます。今年で60周年というこの見本市。60年前と内容も規模も大きく様変わりして、表現やコミュニケーションの方法など、新しいやり方がまだまだ出てくるのでしょう。
2008年10月18日
フランクフルトの町を歩いていると、ベリブより新しいシステムのレンタサイクルがあたるところに見られました。ただしこれは、ステーションがまったくなく、いらるところに乗り捨てられているといった感じです。それぞれの自転車にはおそらくGPSのようなものが備えられ管理されているのでしょう。パリよりかっこいいシステムです。
マイン川のほとりに建築博物館がありました。昔から何度も雑誌などで紹介されているはずの場所ですが、すっかり忘れていて、中に入ってみて初めて思い出しました。展示されているのは、コンセプチュアルな作品や西洋建築の歴史絵巻といった感じで、建築を作品として楽しむ事を久しぶりに思い出したという感じです。最近はあまりにも現実的・実利的にものを見すぎていたかなあ、と少しだけ反省の時間を持つことができました。たまには建築思索を楽しむのもいいでしょうね。カタログもって帰ります
2008年10月18日
パリからフランクフルトへのトランジットのために、再びロンドン、ヒースローに立ち寄りました。今日のロンドンは晴れていて、空からロンドン郊外の様子をよく見ることができました。割と高級な場所かもしれませんが、統一感のある一戸建て住宅が建ち並び、美しい街並みに違いないだろう集落です。そのところどころにグリーンの広場らしきものが見えます。これらの中にはゴルフ場をはじめサッカー場やラグビー場、その他クリケットや乗馬などもできそうなスポーツ用の広場が多数見られます。ぼんやりと、非常に優雅で楽しそうな生活を思い浮かべていました。しかし、ふと疑問が。いったいこれらの場所のメンテナンスはどうしているのでしょうか。日本では、最近は郊外でも子供たちがスポーツを楽しめる場所が限られてきているのが現状で、行政が整備に努力をしても、財政的に限界があります。何も調べていないのでわかりませんが、ロンドンの姿をみて、広場の整備をみんなでやるとか、何かコミュニティの中での考え方が日本とは根本的に違うのだろうと思わされます。その部分が日本の一般的な住宅街の姿との違いになっているのではないでしょうか。自分たちの街をよくするのは自分たちしかいないという考え方は欧米では一般的であるといいます。日本にはまだそこまでの考えかたは根付いてはいません。
2008年10月17日
20世紀の最後のころ、パリでは"グラン・プロジェ"と名づけられた大規模な建築プロジェクトが展開されていました。これは一ヶ所でのプロジェクトではなく、パリ全域でいくつかの場所で新鮮なデザインの建築を作っていくというものでした。代表的なものではグラン・アルシュやアラブ研究所、バスチーユ新オペラ座、ラ・ビレット公園等があります。これらの建築ができたころ、私は変貌したパリの姿を見るため、少しの間パリに滞在したことがありました。当時としては刺激的なデザインばかりで、まだ今よりは若かったので、一日中歩き回っていました。
今日行ってきた国立図書館もそのひとつです。デザインはコンペを経てドミニク・ペローが担当しました。広大な敷地の四隅に高層の建築をつくり、図書館のほとんどの機能は中庭を持った地下に配置するというシンプルでありながら空間としては奇抜なものです。今年7月、この図書館からセーヌ川に37番目の橋が渡されました。装飾はほとんどないのですが、橋全体が美しい曲線美を持っていて、軽やかで優雅な姿を持っています。パリの橋といえば、京都市が鴨川にポン・ヌフをまねたようなデザインの橋をかけようとして、市民の反対にあい、実現できていないことを思い出してしまいます。パリの新しい橋はまったく違ったコンセプトで先に実現してしましたね。
2008年10月16日
パリについて早速、レンタサイクル"ベリブ"に乗ってみました。サン・ラザールからシャンゼリゼを通って、サイクリング。体験した人はわかると思いますが、かなり頑丈な車体で、高級な内装式のギアチェンジ方式を採用するなど自転車の仕様はいいものです。デザインはむっくりした姿がちょっと気になります。石畳のパリの街では乗り心地は決してよくはないのですが、広いパリの移動には大変使い勝手のよいものだと思います。設置台数も増えているみたいで、実際に使っている人もチョコチョコ見ます。ブランドショップにベリブで乗りつけるというのは少し違和感がありますが。
パリでは自転車の交通ルールは自動車とまったく同じで、一方通行の逆行でもつかまるそうです。また、左折(日本では右折)のときは、車にまじって中央よりの車線から曲がるという勇気の入る走り方が必要です。でも、シャンゼリゼで道の真ん中を走るのはいい気持ちでもありました。
自転車レンタルに続いて、カーシェアリングも実際に行われることにっているそうです。ただ、パリの運転マナーは最悪で、事故の危険性は高いのではないでしょうか。そのほかにも既存の公共交通も含めて総合的に交通体系を見直す動きが進んでいるようです。市民向けのパンフレットも出ていて、パリはどんどん変わっていきそうです。
2008年10月15日
グローバルクライシスに少しの休息が訪れたみたいですね。ロンドンではこんないいニュースに出くわすことになりました。月曜日のシティは地元の人によると渋滞が少しましだったようです。関係あるかどうかわかりませんが。
シティを通りぬけた後、ロンドン市役所に行ってみました。古い町並みの中に突然鉄とガラスの建築が現れるロンドンで、今一番話題の建築家はノーマン・フォスターらしく、市庁舎もフォスターによるものです。建築規制や街づくり、環境保護への取り組みなどについていろいろ聞いてみたかったのですが、言葉の壁に阻まれてしまいました。パンフレットによると街並み景観賞みたいな表彰制度があったり、公園の多いロンドンらしく緑の保全制度みたいなものはあるようです。ちなみにロンドンでは市の面積の三分の一が緑だそうです。また、市長が変わり、市民から直接意見を求める制度をはじめていて、もしかしたらロンドンの姿に何か変化が起こるかもしれません。
2008年10月13日
アメリカからヨーロッパへ。こういう移動は初めてで、時差ぼけが完治しないうちに次の時差ぼけと、なかなかきつい行程です。ロンドンについたのが6時半。朝のロンドンはやはり霧でした。まずは市街ではなく、ドックランドのほうへ。リチャード・ロジャースのミレニアムドーム(現O2)の規模の大きさは大変なもので、ひとつのテントの中にアリーナや映画館、それにUSJやディズニーランドにあるモールが収まっているという感じです。周辺はまだまだ開発中で、巨大な新都市ができていく途中です。
そのあとセントポール大聖堂からミレニアムブリッジをわたってテートモダンへ。セントポールの隣にあるパタノスタースクエアという再開発地区は、三菱地所が開発をてがけた複合施設で、中央に大きな広場を配置した大規模なものです。街並みへの配慮とオフィスやオープンスペースの機能性を備えた秀逸のプロジェクトです。日本人として、誇らしい気分を味わいました。シティの中では街並みの改修プロジェクトが進められていて、現在はまだまだ工事中ですが、街路の修景や、歩行者や自転車の交通の改善がはかられています。
2008年10月12日
本日は移動日。午前中は街歩き。歴史的な景観を残す住宅街も市街地の近くにまだの残っています。土曜日で観光客も増えて、国立公文書館へ入る行列も昨日の3倍くらいになっていました。G7がらみの会議もまだやっているみたいで、ポリスの姿も目立ちます。でも、新聞紙上にあるような緊張感はどこにもありません。経済社会からは絶縁されたような街みたいです。土曜日のワシントンはいろいろな行事をやっています。メトロをおりるとネイビーデーの催しに出くわしました。自衛隊でなくて軍隊です。街中の建物は権威の象徴のような威容を持ったデザインが多く、新築のの建物でも様式建築の風貌を持ったものが多く見られます。いかにもアメリカの強さ、超越性、威厳を見せ付ける街、見方によっては権威主義、帝国主義的と感じる人もいそうです。中心部は都市計画があまりにもきちっとしていて、面白みがないというのも実感です。
2008年10月11日
25年前、アメリカ放浪の旅をしたとき、一番印象に残った建築がワシントンにあります。ナショナルギャラリー東館。ルーブル美術館のガラスのピラミッドでも有名なイオ・ミン・ペイのデザインによる建物です。非常にシンプルで力強いデザインですが、テクスチュアのせいか繊細でやさしい感触も伝わってきます。学生時代には非常に大きな影響を受けていました。建物の形などは写真でいつでも見ることができるものなのですが、ワシントンに来ることになって、久しぶりにこの建物に触れることを楽しみにしていました。今日の一番のトピックスです。
ナショナルギャラリーから国会議事堂前の広場"ザ・モール"を渡って議事堂へ向かう途中にボタニカルガーデンがあります。今、ここで"ONE PLANET-OURS"という特別展をやっています。22世紀へのサスティナビリティといったサブタイトルがついていて、環境保全のためにできることについての展示を何人かのアーティストが作成して展示しています。アメリカはCOP3にも参加せず、環境より経済という道を選択していた時代もありましたが、ここにきて今度は自分たちがリードするという立場をとろうとしていることもあり、環境への取り組みを目に見える形でいろいろと始めています。レンタサイクルや自転車道の整備もその流れの中でしょう。環境関連ビジネスでも日本に遅れをとらないよう力を入れてきているようです。そのことは大統領選挙のディベートの中でも取り上げられていました。
今日最後にNEWSEUMというところに入りました。写真はそのテラスからとったものです。報道博物館といった感じのところで、報道の歴史や911のような大事件のときのニュースなど、そして報道の自由やジャーナリストへの敬意などが展示されています。ワシントンという国家権力の中心地みたいなところでこういう場所ができるというのは、いかにもアメリカらしいですね。
株価の大暴落のなか、ワシントンでG7が開かれているようですが、ここにいてもまったく何をやっているのかはわかりません。非常に静かな街で、週末には観光客が増える、ただそんな街に見えてしまいます。
2008年10月10日
ワシントンに来ました。ニューヨークとはころっと変わって、すごく静かな、いかにも行政の街といった所で、人の少なさ、活気のなさ(ニューヨークと比べて)には驚きます。万博記念公園を大きくしたみたいです。街中博物館だらけで、アメリカとはこんな国と、いいたいことをすべて集めているということでしょう。ここで面白いものを見つけました。パリのベリヴと同じようなシステムのレンタサイクルです。無人の機械式で、やはり広告代理店がやっています。まだまだ小規模なものですが、ワシントンD.C.が後押しして、かなりの規模にまで育てていくみたいです。そもそも自転車があまり走っていない街中でレンタサイクルですから、アメリカ独自の環境への取り組みをアピールしたい気持ちがかなり強いということでしょうか。料金は年間40$で、これもパリと同じくらいですね。なかなkしっかりした自転車を作っていました。
夜、食事する場所を探したのですが、なかなか店がやっていなくて驚きです。25年前にきたときも同じ思いをしたのですが、今でも夜いる場所がない街である事は変わっていません。役人は早くに家に帰るんでしょうね。
2008年10月10日
阪神タイガースのようになりたい。
先週開業した尼崎の現場でそう思った。
尼崎といえば阪神タイガースの街というくらい
熱狂的なファンが多い地域で知られているが
その中でも特に熱狂的な阪神尼崎商店街のすぐ近くに
駐輪場が開業した。
地元の方々の要望により駐輪機はタイガースカラー(黄と黒)に
統一した。
非常に評判もよく、街づくりの一環としての駐輪場整備を目指す
我が社にとって、地元に愛されるタイガースを駐輪機で
イメージするという新しい視点での街づくりに
取り組めた気がする。
現在タイガースはジャイアンツと
セリーグの首位をめぐって残りわずかな試合数の中
熾烈な攻防戦を繰り広げている。
商店街もものすごい盛り上がりである。
一歩商店街に入ると、装飾は黄色と黒で
見事にグラデーションされ
街全体でタイガースを後押ししている雰囲気を
ひしひしと感じる。
そこの方たちは
タイガースが調子のいい時はみんな自分の事のように喜び
調子の悪いときには容赦のない批判を浴びせる。
低迷した時代が長く続いても
皆、ファンをやめずに応援し続けているのである。
あたかも生活の一部のような存在になっている。
アーキエムズもそんな存在でありたいと思った。
そういった多くの熱狂的なファンに
愛される事はすごく幸せなことだと思う。
アーキエムズはこれまで沢山のファンによって
支えられてきた。
そしてこれからも沢山の方にファンになってもらうべく
活動をしていく。
我々が提供するものがよくないとき、
会社として進む方向を間違えたとき、
容赦なくブーイングを浴びせていただきたいし
容赦なくNoを突きつけてもらいたいものである。
そういうシビアな環境に身をおいてこそ
社会にいいものを提供し続ける事ができると思うし
会社は正しく成長していけるのだと思う。
いいものを提供したときには我々と共に喜びを分かち合う。
そしてファンの方々もまるで自分の事のように喜ぶ。
そんな熱狂的なファンに囲まれる存在になりたいと思った。
今回のタイガースカラー駐輪機は間違いなく
街にとっていいものを提供できたと自負している。
評価はこれからである。

先週開業した尼崎の現場でそう思った。
尼崎といえば阪神タイガースの街というくらい
熱狂的なファンが多い地域で知られているが
その中でも特に熱狂的な阪神尼崎商店街のすぐ近くに
駐輪場が開業した。
地元の方々の要望により駐輪機はタイガースカラー(黄と黒)に
統一した。
非常に評判もよく、街づくりの一環としての駐輪場整備を目指す
我が社にとって、地元に愛されるタイガースを駐輪機で
イメージするという新しい視点での街づくりに
取り組めた気がする。
現在タイガースはジャイアンツと
セリーグの首位をめぐって残りわずかな試合数の中
熾烈な攻防戦を繰り広げている。
商店街もものすごい盛り上がりである。
一歩商店街に入ると、装飾は黄色と黒で
見事にグラデーションされ
街全体でタイガースを後押ししている雰囲気を
ひしひしと感じる。
そこの方たちは
タイガースが調子のいい時はみんな自分の事のように喜び
調子の悪いときには容赦のない批判を浴びせる。
低迷した時代が長く続いても
皆、ファンをやめずに応援し続けているのである。
あたかも生活の一部のような存在になっている。
アーキエムズもそんな存在でありたいと思った。
そういった多くの熱狂的なファンに
愛される事はすごく幸せなことだと思う。
アーキエムズはこれまで沢山のファンによって
支えられてきた。
そしてこれからも沢山の方にファンになってもらうべく
活動をしていく。
我々が提供するものがよくないとき、
会社として進む方向を間違えたとき、
容赦なくブーイングを浴びせていただきたいし
容赦なくNoを突きつけてもらいたいものである。
そういうシビアな環境に身をおいてこそ
社会にいいものを提供し続ける事ができると思うし
会社は正しく成長していけるのだと思う。
いいものを提供したときには我々と共に喜びを分かち合う。
そしてファンの方々もまるで自分の事のように喜ぶ。
そんな熱狂的なファンに囲まれる存在になりたいと思った。
今回のタイガースカラー駐輪機は間違いなく
街にとっていいものを提供できたと自負している。
評価はこれからである。
2008年10月 9日
MOMAにいきました。特別展示でゴッホをやっているせいもあって、かなりの混雑です。建築としても面白いものですが、展示の内容を見て、"建築ってやっぱりすごい"と思ってしまいました。建築分野に2フロアをさいているぐらいで、綜合芸出としての建築は日本よりも数段高い地位を占めているように感じます。他の芸出作品に比べて、多くの人間が介在することで完成する建築は、語りかけてくるものが輻輳していて、考えようによっては人間の生き方そのものをあらわす芸術といえそうな気がします。
その後、コロンビア大学まで足を伸ばしましたが、こちらはゆっくりと時間の流れる落ち着いた空間って感じで、天気もいいし、何か考え事にはちょうどいい雰囲気です。事業のこととかではなく。しかし、大学の近くにあるはずの本屋がなくなっていました。アメリカでも本が売れない時代なのでしょうか。
本屋には朝早くに行ってみたのですが、ビジネス書のコーナーではHuman Resource という文字とシックスシグマが多く見られ、ここら辺がはやりのようです。英語の本では勉強しづらいので、帰ってから見てみることにします。

その後、コロンビア大学まで足を伸ばしましたが、こちらはゆっくりと時間の流れる落ち着いた空間って感じで、天気もいいし、何か考え事にはちょうどいい雰囲気です。事業のこととかではなく。しかし、大学の近くにあるはずの本屋がなくなっていました。アメリカでも本が売れない時代なのでしょうか。
本屋には朝早くに行ってみたのですが、ビジネス書のコーナーではHuman Resource という文字とシックスシグマが多く見られ、ここら辺がはやりのようです。英語の本では勉強しづらいので、帰ってから見てみることにします。
2008年10月 8日
なかなかよく歩きました。グラウンドゼロからバッテリーパーク、ウォールストリート、フルトンマーケットへと、そしてソーホーからクーパースクエア、最後にタイムズスクエア周辺、観光的なルートですね。でも、最近の話題の建築はかなり見ることができました。建設中のものもいくつもあり、アメリカでの建設環境みたいなものが感じられました。よく言われるように、アメリカには日本のゼネコンに当たるものはなく、現場の看板もCM会社のものになっています。現場の責任をCM会社が負う仕組みになっているようです。特に、グラウンドゼロの新しい計画にもかかわっているTISHMANという会社がニューヨークでは一番大きく、ほかにもバンクオブアメリカタワーなどタイムズスクエア周辺でいくつも現場を持っています。またSHIAMEやPLAZAという会社も面白そうで、このようなCM会社がいくつもあります。日本では大きなプロジェクトの場合、優秀なゼネコンがすべて取り仕切ってしまいますが、建設プロジェクトのソフトの部分のみを請け負う会社が一番前になって仕事を進めていく姿がよく見える感じです。ただし、建設現場の外見はみすぼらしく、仮囲いやシートなどにほとんど気を使っていないようで、仮設でのコストダウンを徹底していることを予想させます。建設作業という現場の仕事はかなり地位の低いものになっているのではないでしょうか。分離発注により価格低下を強制されていくことを考えると、日本でも格差社会化が進むと現場の地位が低下していくのは必然のようにも感じてしまいます。
CM会社を調べていて気がついたのですが、アメリカではグリーンアーキテクチュア、日本風にいうと環境共生建築みたいな事が大流行です。日本でも当然やっていることですが、COP3に参加しなかったアメリカが独自に環境問題への取り組みを強く進めているつころがみえます。グラウンドゼロのタワーでも一番にグリーンアーキテクチュアを謳っていました。環境技術の先進国である日本でも、もっと環境のことを考える機会が増えるのでしょうね。
2008年10月 8日
採用に関してもうひとつ思い出がある。
アーキエムズに入社した時だ。
当時はアーキエムズとして再出発したところで
会社としてはまだ白紙に近い状態だった。
事務所も現在の場所とは違い京都駅の近くにあった。
入社初日、私は事務所に入ると
「あ、来てたんや。」
と何とも言えない反応・・・。
当時は研修制度などあるはずもなく私はやる事がない。
何かやることはありますか?と問うと、
「カタログでも読んでおいて」
と言い、皆は慌しく営業に出て行ってしまった。
当時の主力商品にしようと考えていたマンション向け
高収容効率の駐輪ラック「ナローラック」のカタログである。
私は朝からずっと訳のわからないカタログと格闘した。
夕方になって皆が帰ってくると
「カタログ読んだよな。じゃあ明日から営業に出ようか」
入社初日はそんな感じであった。
実際に次の日からは訳もわからず営業に出て行った。
わからない事だらけであったが、行ってみると何とか
なったものである。
そんな環境であったが意外と不満はなかった。
そんな環境だからこそやりがいもあったし
全てが自分の勉強にもなった。
何せ自分がやらないと何も動かないのだから。
会社としてもこれから何をやっていこうかと日々模索している
状態でもあった。
生意気ではあるが、自分がやらなければ会社がまわらない
くらいの気概は持っていたように思う。
アーキエムズの出発点は
当時のその事務所である。
そこから徐々に成長し現在の姿がある。
ようやく企業らしくもなってきた。
現在いる社員にとってアーキエムズに対する思い入れは
入った年度、環境によって様々であると思うが
私の原点は入社当時のあのわずか5坪程度の事務所である。
当時は苦労の連続だったが
今となってはいい思い出であり
いい財産でもある。
アーキエムズに入社した時だ。
当時はアーキエムズとして再出発したところで
会社としてはまだ白紙に近い状態だった。
事務所も現在の場所とは違い京都駅の近くにあった。
入社初日、私は事務所に入ると
「あ、来てたんや。」
と何とも言えない反応・・・。
当時は研修制度などあるはずもなく私はやる事がない。
何かやることはありますか?と問うと、
「カタログでも読んでおいて」
と言い、皆は慌しく営業に出て行ってしまった。
当時の主力商品にしようと考えていたマンション向け
高収容効率の駐輪ラック「ナローラック」のカタログである。
私は朝からずっと訳のわからないカタログと格闘した。
夕方になって皆が帰ってくると
「カタログ読んだよな。じゃあ明日から営業に出ようか」
入社初日はそんな感じであった。
実際に次の日からは訳もわからず営業に出て行った。
わからない事だらけであったが、行ってみると何とか
なったものである。
そんな環境であったが意外と不満はなかった。
そんな環境だからこそやりがいもあったし
全てが自分の勉強にもなった。
何せ自分がやらないと何も動かないのだから。
会社としてもこれから何をやっていこうかと日々模索している
状態でもあった。
生意気ではあるが、自分がやらなければ会社がまわらない
くらいの気概は持っていたように思う。
アーキエムズの出発点は
当時のその事務所である。
そこから徐々に成長し現在の姿がある。
ようやく企業らしくもなってきた。
現在いる社員にとってアーキエムズに対する思い入れは
入った年度、環境によって様々であると思うが
私の原点は入社当時のあのわずか5坪程度の事務所である。
当時は苦労の連続だったが
今となってはいい思い出であり
いい財産でもある。
2008年10月 7日
やっぱり一日目に街を見て回るのはしんどい。
言葉の壁の厚さも再認識させられて、なかなかうまくいかないことばっかりでした。
15年前にニューヨークにきたときには、まだその街としての巨大さに感動していたように思いますが、今きてみて、実はそれほどでもないなと思ってしまっています。日本、特に東京もかなり近づいてしまったみたいで、違いは街の汚さぐらい。MOMAの表まで行ってみましたが、谷口氏の色が濃く出ていることもあって、日本との違いはあまり大きくない。さらに、仕上げの雑さが目だって、ちょっと期待はずれな感じでした。、展示ではプレファブ建築関係のものをやっているみたいで、面白そうなのであさっていきます。
新しい事業のネタを探す目的を達成できるか、少し不安になってしまった。
今日は少ししか歩いていないけど、建設現場はかなりの数ありました。少し前までは景気のよかったアメリカで、建設計画は進んでいたのでしょう。残念ながらNYダウは今日1万ドルを割ってしまいました。リーマンの看板ははずされ、MOMAの前のビルの一階も空き室になっていました。悲壮感のようなものを感じるほど言葉もできないのですが、やっぱりこれから変わっていくのでしょうね。よくないほうに。
2008年10月 6日
本日、来年度新卒内定者の内定式を行った。
みんな初めは緊張していたが、
我が社の社風を感じ取ってか
途中からは大分リラックス出来ていたように思う。
皆の目がキラキラと希望に満ち溢れていたのが
象徴的だった。
来年4月からは社会人になる。
これからは仕事を通じて社会に貢献していく番である。
新しい価値を社会に提供していく側になる。
その気概を持って仕事に励んでもらいたいと願っている。
かくいう私自身にも採用に関して思い出がある。
学生時代のアルバイト採用での事。
専務の前勤務先の会社で私はアルバイトとして
約4年間従事していた。
社員と学生アルバイトの関係である。
もうかれこれ10年以上前になる。
当時その職場でのアルバイトを希望していた私は
若かりし頃の専務に面接をしていただいた。
先にそこで働いていた友人の紹介で、
もう私の採用が決まっていたのではあるが
一応形式だけでも、という事で面接をする事になった。
イメージしていたザ・面接のような難しい会話はなく
確かゴルフの話しかしなかったと記憶している。
もう採用が既成事実になっている雰囲気が
学生の私にもひしひしと感じ取れた。
しかし、である。
数ヶ月経っても採用の連絡はなかった。
来る日も来る日も連絡を待ったのであったが
一向に連絡がない・・・。
採用は決まっていると紹介してくれた友人からは聞いていたが
実際「採用!」と通知された訳ではないので
もしかすると、学生のクセに一丁前にゴルフ談義をした事が
ハナについて落とされたのではないかと一抹の不安がよぎった。
採用を待ちすぎて、金欠になっていた私は
思い切って採用か否かを紹介してくれた友人に聞いてみた。
友人が職場で会社に確認したところ、
「え!?まだ働いてなかったの?」
との回答だった。
そこの会社では、もうてっきり私は働いているものと
皆が勘違いしていたらしい。
私はコケてしまった・・・。
この不安な気持ちで過ごした数ヶ月を返してくれよと
心の中で叫んだ。
そして無事に次の日から働く事ができた。
ものすごく不安な思いをした数ヶ月は何だったのだろうと
思った一面、社会はそんなに甘くないという事を
認識させられた出来事でもあった。
自分のツメの甘さを反省し、
相手方と合意の確認をしない限り
気を抜いてはいけないという事を
その時に私は学んだ。
先般の研修でも学んだ事だ。
みんな初めは緊張していたが、
我が社の社風を感じ取ってか
途中からは大分リラックス出来ていたように思う。
皆の目がキラキラと希望に満ち溢れていたのが
象徴的だった。
来年4月からは社会人になる。
これからは仕事を通じて社会に貢献していく番である。
新しい価値を社会に提供していく側になる。
その気概を持って仕事に励んでもらいたいと願っている。
かくいう私自身にも採用に関して思い出がある。
学生時代のアルバイト採用での事。
専務の前勤務先の会社で私はアルバイトとして
約4年間従事していた。
社員と学生アルバイトの関係である。
もうかれこれ10年以上前になる。
当時その職場でのアルバイトを希望していた私は
若かりし頃の専務に面接をしていただいた。
先にそこで働いていた友人の紹介で、
もう私の採用が決まっていたのではあるが
一応形式だけでも、という事で面接をする事になった。
イメージしていたザ・面接のような難しい会話はなく
確かゴルフの話しかしなかったと記憶している。
もう採用が既成事実になっている雰囲気が
学生の私にもひしひしと感じ取れた。
しかし、である。
数ヶ月経っても採用の連絡はなかった。
来る日も来る日も連絡を待ったのであったが
一向に連絡がない・・・。
採用は決まっていると紹介してくれた友人からは聞いていたが
実際「採用!」と通知された訳ではないので
もしかすると、学生のクセに一丁前にゴルフ談義をした事が
ハナについて落とされたのではないかと一抹の不安がよぎった。
採用を待ちすぎて、金欠になっていた私は
思い切って採用か否かを紹介してくれた友人に聞いてみた。
友人が職場で会社に確認したところ、
「え!?まだ働いてなかったの?」
との回答だった。
そこの会社では、もうてっきり私は働いているものと
皆が勘違いしていたらしい。
私はコケてしまった・・・。
この不安な気持ちで過ごした数ヶ月を返してくれよと
心の中で叫んだ。
そして無事に次の日から働く事ができた。
ものすごく不安な思いをした数ヶ月は何だったのだろうと
思った一面、社会はそんなに甘くないという事を
認識させられた出来事でもあった。
自分のツメの甘さを反省し、
相手方と合意の確認をしない限り
気を抜いてはいけないという事を
その時に私は学んだ。
先般の研修でも学んだ事だ。
2008年10月 4日
視察旅行中に興味を持った事があったり面白いものを見つけたときは、トピックスとして、忘れないうちに記録に残していこうと思います。今回の旅行の目的は、私のとっては、今のアーキエムズの建築関係の事業部の事業形態の方向性を考えることと、新しい事業のねたを見つけること。事業のねたはあるかどうかわかりませんが、建築、開発事業の進むべき方向については、なんらか答えが見つかりそうな予感がします。帰国後の発表の場で、できるだけ面白い話ができるように、ちゃんと見てきます。
